太陽に向かう人

唐突ですが、『』と『』と言う漢字の意味の違いをご存知でしょうか?

漢字の構成で言えば、『』があるかどうかの違い。

しかし、これがあるかどうかで、大きな違いがあります。

』の『』は、太陽の『陽(ヒ)』であり、心の中心にある『霊(ヒ)=魂』でもある。

それは、全体を見通すことで、その中心にある核(本質=神意)を知ることでもあり、

中心でバランスを取りながら、愛の放つことを意味する。

そんなインスピレーションを受け取りました。

球の中心に小さな球(太陽=霊=魂=神=愛=光)があり、そこから光が放たれている

そんなビジョンも見えました。

つまり、『』とは「ある事象の一片を知る」こと。

』とは「ある事象の全体を見通し、本質=神意を心で受け取り、愛ある言動を行う」こと。

そんな違いがあるのです。

これを人で例えるなら、『知者』と『智者』。

知者』とは、博学な人。簡単に言えば、物知り様々なことを知っている人です。

それを愛ある方向に使えば、人様や世の中の役に立つ『賢者』となることでしょう。

しかし、「尊敬されたい」「注目されたい」と言った欲望や、「自分は正しい」「何でも知っている」といった傲り思い込み早合点などから、『愚者』になりうる可能性も秘めています。

それに対し、『智者』とは、すべてを見通す目で本質(神意)を知った上で、愛を放つ人

つまり、様々な煩悩から解き放たれ、真理を知りうる『聖者』なのです。

今の世の中、様々な情報が溢れています。

その気になれば、様々な情報を収集し、物知りである『知者』になることは、誰でも可能です。

しかし、物事の本質(神意)を見極めることができるか、情報をどう扱い、どう行動するかにより、その人の人となりが現れます。

浅はかな見識・言動で、『愚者』になりますか?

情報を愛ある方向に使い、『賢者』となりますか?

すべてを見通す目で本質(神意)を知った上で愛を放つ『智者・聖者』となりますか?

どれになるかは自分次第。

自分の選択次第で、いかようにもなれます。

この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。