日本の学校教育をおかしいと思ったことはありませんか。
子供達や日本の将来のためになっているか、疑問を感じたことはありませんか。
このままでいいのでしょうか。
国や学校、教師に任せっきりでいいのでしょうか。
子供や日本の将来にも関わる大切な学校教育。もっと、親、地域、国民一人一人が、どうあるべきか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
私が感じる日本の学校教育の問題点をご紹介させていただきます。
自分自身や家族、世の中を振り返り、日本の学校教育の問題点について考えてみませんか。
日本の学校教育の問題点
私は、日本以外で生活したことはないため、海外の学校教育の現状は知りません。
日本に生まれ、日本の学校教育を受け、社会に出ました。
しかし、それでも、今、改めて、振り返ると、日本の学校教育に疑問を感じます。
これでいいのかと…。
具体的に、どういったことに疑問を感じるか。
私が感じる日本の学校教育の問題点を5つ、ご紹介します。
1.教師の適性
日本の学校教育における、まず、一つ目の問題は、『教師の適性』です。
現在、日本の教師の多くが、短大や大学で教員免許を取得し、学校を卒業して、すぐに教員採用試験を受けて教職についています。これって、いかがなものでしょう。
社会経験や人生経験が浅い教師、また、学校しか知らない教師が、子供たちに、適切な指導やアドバイスができるのでしょうか。
最近こそ、民間出身の校長・教員を採用する学校も増えてきてます。しかし、まだまだ少数派。
教師という職は、社会経験や人生経験が豊富な人物がすべきではないでしょうか。
また、教師は、社会経験や人生経験だけでなく、人間性も重要です。
パワハラやスキャンダルを起こすような人物は、もっての外です。
教師自体の学力の高さよりも、生徒をやる気にさせる、また、生徒の悩みに寄り添うことができる方が、教師には適任かと思います。
2.教育内容の妥当性
日本の学校教育における、二つ目の問題は、『教育内容の妥当性』です。
義務教育にしても、高校や大学の教育にしても、今の学校教育には、社会生活を送る上で、不要な内容が多すぎではないでしょうか。
学校で習ったきりで、その後、使うこともない知識が多すぎではないでしょうか。
そういうのは、すぐに忘れますし、貴重な時間を無駄にするように思います。
義務教育では、日常生活、社会生活を送る上で、必要な知識やマナーの他、人として、また、地域社会、日本、地球に住む住民として、最低限の知識、能力を養いたいものです。
また、高校や短大、大学などでは、将来の仕事を見据え、実践力につながる専門知識・技術を習得できればと思います。そういう意味では、大学の教養科目は、疑問に感じます。
また、進学、就職など、人生の方向性を決断する必要がある高校では、様々な職業を紹介する時間があってもよいかもしれません。
ただ、なんとなく成績に合わせて大学に進学する。東大や京大など、難関校に行くのが目標というのは、なんか違うのではないかと思います。
また、小・中・高、短大、大学に限らず、学校教育においては、もっと、地域や企業、その道の専門家などを巻き込んで、生きた情報を習得できればと思います。
3.画一的な教育
日本の学校教育の問題点として、『画一的な教育』というのもあります。
すべて生徒に、同じ内容を、同じように教え、同じように理解、行動することを求める。
それをはみ出すことを良しとしない。
中には、給食を食べきることを求める教師もいます。食べる量には個人差があります。食欲がない時もあります。それを強要するのは、ある意味、いじめ、虐待です。
学校で、いじめや不登校の問題がなくならないのには、画一的な教育も要因しているのではないでしょうか。
みんなと同じでない者、同じようにできない者を見下す行為。
それを助長させているように思います。
また、画一的な教育は、協調性という名のものに、個性を埋もれさせているようにも思います。
みんなと同じようにしか行動できない人間を増やして、各個人は、人生を満喫することができるでしょうか。日本の将来は明るいものとなるのでしょうか。
日本の学校教育、画一的な教育を見直す時期に来ているのではないでしょうか。
4.受動的な教育
日本の学校教育の問題には、『受動的な教育』というのもあります。
今の教育は、暗記中心です。教科書に基づき、教師が教え、正解が、予め用意されています。
しかし、社会生活を送る上で、すべてに回答、正解が用意されているわけではありません。
掛け算なと、中には、暗記が必要なものもあります。
しかし、その場の状況で、判断・決断することの方が、圧倒的に多いのではないでしょうか。
また、正解の内容も、時と場合によって変わることもあります。
正解が一つではないこともあります。
物事に対して、想像・創造する力や、判断・決断する力をもっと養うべきではないでしょうか。
また、家庭生活を送る上でも、仕事をする上でも、コミュニケーション能力は必要です。
しかし、携帯電話やパソコンなど便利な世の中になった一方で、面と向かってコミュニケーションを取る機会は減ってきています。
現在の学校教育では、コミュニケーション能力を養うことも必要かもしれません。
5.競争意識・差別意識の醸成
日本の学校教育には、ある意味、『競争意識・差別意識の醸成』しているようにも思います。
学校では、成績表や試験というもので、生徒を評価し、優劣をつけます。
そして、上位の者は、優越感に浸ります。下位の者は、劣等感を持ちます。
しかし、人間的価値は、学校の成績とは比例しません。比べられるものでもありません。
バラにはバラの、ヒマワリにはヒマワリの魅力があるように、人も、各々の魅力があります。
それを一定の軸で評価、ランキングすること自体、無理があります。
学校自体を偏差値で表すのも疑問です。今の学校教育では、暗記能力が高い人が優秀とされ、その優秀とされる人が集まる学校が良い学校とされます。
しかし、学校本来の役割は、より社会に貢献できる人物を育てることではないでしょうか。
学校をランキングする必要があるのならば、どういう人物を育て、社会に貢献したかを評価すべきではないでしょうか。
いかがでしょうか。以上が、私が感じる日本の学校教育の問題点です。
みんなが、持ち前の個性や能力を発揮し、イキイキと暮らせる社会にするには、現状の教育では限界が来ているように思います。
思い切った教育改革が必要なのでしょうか。