『見ざる聞かざる言わざる』という言葉。
誰もが、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
しかし、この三猿の意味を正しく理解していますか?
一般的には、『余計なことは、見ない、聞かない、言わない』
つまり、世の中を上手く渡る処世術のように理解されている方が多いかと思います。
しかし、三猿で有名な日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ)彫刻には、下記のような意味が込められているそうです。
『幼い頃は、影響を受けやすいため、世の中の悪いことは見聞きさせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えなさい。そうすれば、悪いものに対し、正しい判断ができるようになる。』
つまりは、三猿は、子育ての教訓を示しているのです。
しかし、三猿には、まだ、何か隠された意味があると、私は思うのです。
それは、『私たちは、真実を見ていない、聞いていない、言っていない』
裏を返せば、『自分の都合のよいように、ものを見る、聞く、言う』ということです。
そして、自分の都合とは、自分が欲するものや理解できるもの、そして、自身の心の状態です。
私たちは、表面的に見えるものだけで、物事を判断しがちです。
また、物事を勝手に意味付けして、見たりします。
また、私たちは、本心を隠したり、裏腹なことを平気で口にします。
また、相手の言っていることを最後まで聞かなかったり、一部を切り取って勝手に意味付けしたり、自分に理解できないことをスルーしたります。
普段、何気なくしているこれらの行為が、自分を真実から遠ざけ、変わりに、誤解、勘違い、嘘、ストレス、不満、争い、孤独などを生んでいるのです。
それでは、幸せな人生を歩むことはできません。世の中の平和も望めません。
三猿は、私たちが幸せな人生、平和な世の中を築くために、戒め・警鐘・導きとして、気づきを与えているのではないでしょうか。
純真無垢な幼子に与えてはいけない悪いもの。
それは、私たち大人が、普段、何気なくしている行為です。
それを改めれば、幼子から遠ざける必要はありません。
堂々と、大人や世の中の様子を見せることができます。
そして、それが、自分自身の幸せ、平和な世の中へと導くのではないでしょうか。