言霊の幸はふ国

今年も、いよいよ明日で終わりですね。

平成から令和になった2019年は、日本にとっては、大きな節目となった年でした。

そして、来年は、その令和の時代が、本格的に始動します。

それに先立ち、言霊の話を…。

古代日本では、言葉には魂、霊的な力が宿るとして、言霊(言魂)を信じ、その力を大切にしてきました。

良い言葉を発すると良いことが起き、悪い言葉を発すると悪いことが起きると信じ、なるべく、良い言葉を使うことを心掛けてきたのです。

そのことは、万葉集の中で、柿本人麻呂が、日本を『言霊の幸はふ国(言葉の力で幸せをもたらす国)』と表現していることにも表れています。

しかし、現状の日本は、どうでしょうか?

言霊の幸はふ国』と言えるでしょうか?

日常の会話でも、テレビでも、ネットでも、無責任な言葉や、相手を傷つける言葉が溢れ、悲しいかな、『言霊の幸はふ国』からは、ほど遠い国へと変貌しています。

そして、それに呼応するように、日本という国は、幸せから遠のいています。

言葉の『』と言う漢字は、もともと『神への誓い』を意味します。

そして、その誓いは、違反した時は刑罰を受ける覚悟を伴う、意を決する言葉なのです。

また、言葉の『』と言う漢字は、木から枝が出て3枚の葉が付き、その上に草が生える様子を形にしたもので、枝と葉っぱの部分が『』を表します。

』から『』ができ、それに『』が生える。

つまり、『言葉』とは、『』である私たちから出た神への誓いである言葉が『』を作り、それに『』が生え、世の中(現実)が形作られいくことを意味しているのではないでしょうか。

それを裏付けるように、中国では『』を簡略化した文字として、『』を使うそうです。

言葉』は、『世(現実)』を作る力を持つ魔法なのです。

私たちは、もっと、言葉の力や責任を意識する必要があるのではないでしょうか。

しかし、一方で、いくら言葉にしても、現実化しないこともありますよね。

これは、どうしてなのでしょうか。

その理由の一つに、言葉と本心が異なっているというのがあります。

本心からの言葉でないものは現実化しないのです。

,また、「どうせ無理だろう」など、自分の言葉を打ち消した場合も現実化しません。

他者の協力や調和が必要な場合に、それが得られない時も現実化しません。

』を簡略化した文字の『』は、『』の簡略化した文字でもあります。

つまり、『』=『』=『

』は、力を出し合い、調和が取れている状態を表します。

願いが叶うには、協力や調和も必要なのです。

では、柿本人麻呂の言うように、『言霊の幸はふ国(言葉の力で幸せをもたらす国)』にするにはどうすればよいのでしょうか。

それは、幸せに繋がるポジティブな言葉を発し、その言葉に、幸せを願う気持ち、つまり愛を込めるのです。

一人でも多くの方が、愛ある言葉を発するようになれば、世界は、幸せな世界へと変わります。

そういった意味では、twitterでの発言も責任重大です。

愛ある言葉の輪で、愛ある世界、みんなが幸せな世界にしませんか。

令和の時代に、今一度、日本を『言霊の幸はふ国』にしませんか。