人生において、決して自分は望んでいないのに、しないといけないことって、ありませんか?
今までの私の人生は、「嫌だなぁ」とか「なんか気が進まないなぁ」と思うことが多い人生だったように思います。
幼い頃は、望んでもいない習い事をさせられ、学校では、望みもしないのに学級委員や生徒会をさせられ、望みもしないのにクラスで孤立している生徒のお世話をすることになったり…。
義務教育を終えても、望んでもない学部に進学し、望んでいない会社に就職して、望みもしない仕事をすることになったり…。
どうして、こうも、「嫌だなぁ」とか「なんか気が進まないなぁ」と思う方向に行ってしまうのだろうと、思うこともしばしばでした。
しかし、望まないことをしているうちに、気づいたんです。
『望まないものにも学びや発見がある』と。
望まないことをすることで、「私って、こういうこともできるんだ」、「こういうことが得意なんだ」と、自分の知らない新しい一面に気づいたのです。
また、望まないことをすることで、自分とは異なる価値観の相手と接触することが多くなり、「こういう風に思う人もいるんだ」と、見識を広げることに繋がりました。
人生に無駄なものはない。
好きなことに打ち込むことも大切だけど、好きではない・興味のないことを知ることにも大切。
いつしか、そう思うようになりました。
それからは、自分なら選ばないことも、敢えてしてみようと思うようになりました。
食べず嫌いなものを食べてみたり、自分が好まないジャンルの音楽を聴きに行ったり、本来の自分なら行かないようなイベントに行ってみたり…。
そうすると、勝手な思い込みだけで毛嫌いしていた自分に気づいたり、そこに新たな価値を見出し、自分の世界が少しずつ広がっていったのです。
また、そこで得たことを、自分の好きなことに活かすことで、今までにないものを創り出すことできることも知りました。
好きなことだけをする人生。それもいいかもしれません。
でも、それだけだと、勿体ないように思います。
あなたの世界、可能性、そして、心を、自ら狭めているように感じます。
それに、好きなことだけをしていると、それができることに喜びや感謝も感じなくなります。
今、自分の好きなことができず、悩んでいる人もいるかもしれません。
しかし、その状況においても、学びや発見があります。
そして、それが、将来、好きなことをする時に役立つことでしょう。
自分さえ諦めなければ、したいことができる時が来る。
それまでの勉強期間と捉えれば、今いる世界に希望を感じませんか。
しかし、望まないことをずっと我慢しろと言っているわけではありません。
その環境から卒業すべき時が来ているのに、我慢して居続けようとする時には、そこをいたくなくなるような嫌なことが続きます。
経験には意味があります。それに気付くことができれば、卒業してもよいのです。
気づく前に逃げ出せば、似たような経験が、また、やってくるでしょう。
自分にやってきた経験に意味を見出し、次なる世界、望む世界へと進もうじゃありませんか。