『気づきを得る』、また、『悟りを開く』とは、どういうことなのでしょうか?
どういう違いがあるのでしょうか?
普段、何気なく、耳にしたり、使っている言葉ですが、改めて考えてみると、よくわからない方も多いのではないでしょうか。
辞書で意味を調べてみると、下記のような内容が書かれています。
気づきとは、『見落としていたことや問題点に気づくこと』
悟りとは、『物事の真の意味を知ること』、また、仏教では、『永遠の真理を会得すること』
なんか、わかったようでわからない感じですよね。
気づき、悟りとは、いったい、何を知ることなのでしょう。
私は、宗教には興味はないですし、勉強もしたことはありません。
しかし、ある日、私は、ハッと気づいたことがあります。
『すべてのことは繋がっている』と。
何が繋がっていると思ったかというと、不思議な出来事です。
突然、見えたり、聞こえたり、浮かんだこと、頻繁に起こるシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)、何度も見る夢、印象深い夢 etc. …。
今まで起きた様々な不思議な出来事が、一つのことに繋がっていると気づいたのです。
「これは、どういうこと?」
疑問に思った私は、いったい、どこまで繋がっているのかを知りたくなりました。
そして、名前、誕生日、誕生地、今までの居住地など、自分に関わることを調べました。
結果、わかったことは、やはり、すべて繋がっているということ。
それからは、ますます不思議な出来事が起き、さらに気づきは拡大。
自分の人生に起きたことや、自分の好き嫌いや得意不得意も偶然ではないことを知りました。
そして、歴史や宗教は、興味ないどころか、嫌悪感を持っていたのにも関わらず、それについて、調べるように、また、勉強するように促されました。
必要とあらば、知らない土地を旅し、歴史的建造物を見たり、その土地の人に話を聞いたり…。
不思議な出来事に導かれるままに身を委ねていったら、いつのまにか、その気づきの内容は、自分、他人、日本、世界、地球、宇宙へと拡大していきました。
そして、ある日、あることに気づきました。
この一連の気づきの作業には、一定の法則というかパターンがあると。
一つは、それは、一気にすべてを知るのではなく、少しずつであるということ。
パズルのように、一つ一つの出来事が次第に繋がり、見えなかった真相が見えてくるのです。
また、他のパターンにも気づきました。
それは、まるで円を描くように、近い所で繋がっていると思ったら、どんどん遠のいて、また、元に戻ってくること。
しかも、元に戻った位置は、以前よりも高い位置にいるのです。
「これは、どういう現象なのだろうか…。」
そう疑問に思っていたら、突然、脳裏に、回転しながら上昇する金色の螺旋が見えました。
「そうか、螺旋状に上昇していってるんだ!」
一瞬にして、腑に落ちました。
一連の気づきは、螺旋状に繋がりながら上昇しているのです。
「もしかしたら、この螺旋を上昇し続け、たどり着いた所が、悟りなのではないだろうか。」
ふと、そんな気がして、仏教の悟りについて調べてみると、やはり、予想は的中。
悟りへの階段は52段あり、その階段は螺旋階段だと言うことを知りました。
「しかし、なぜ、私が、悟りの螺旋階段を上っているのだろう?」
仏教の修行をしていたわけでもないし、疑問ですよね。
そして、ふと、思い浮かんだのが、アセンション(次元上昇)です。
この過程が気づきの螺旋であり、その行き先が悟りであり、アセンションなのでしょう。
今、地球は、次元上昇に向け、波動を上昇させています。
それに合わせ、人間も波動上昇が迫られています。
次元上昇される方は、遅かれ早かれ、悟りの階段に上ることになるのではないでしょうか。
そのためには、偶然を偶然として見逃さないことが大切です。
また、日々の暮らしの中に、気づきを得ましょう。
現実は、あなたの心の映し鏡です。良いことも悪いことも、あなたの心を投影したものです。
その出来事は、何を意味しているのか、そういう視点で物事を見てみましょう。
その際、常識、思い込み、経験など、あらゆる枠を外し、幅広い視点で見てみましょう。
私は、気づきを得たり、悟りを開くのに、特別な修行は必要ないと思います。
人生自体が、修行みたいなものですからね。
何かしないといけないならば、様々な経験を通し、『本当の自分を知る』こと。
そして、『本当の自分である』ことです。
一人一人が本当の自分に戻り、パズルピースのように、互いの過不足を補いながら、繋がった時に、喜びに溢れた平和な世界が現れるのでしょう。
最近、様々な出来事に繋がりを感じる。
そう感じた時に、このことを思い出していただければ幸いです。