普段、何気なく使っている『心が豊か』『心が貧しい』という言葉。
具体的に、どのような状態なのか、疑問ではありませんか?
『心が豊かな人』と『心が貧しい人』の違いは、何なのでしょうか?
改めて考えてみると、心の何が豊かなのか、貧しいのか、疑問ですよね。
私は、『心が豊かな人』とは、心が愛で満たされている人だと思います。
何を豊かに持っているかと言うと、それは『愛』です。
『心が豊かな人』は、心が愛で十分に満たされているため、他人に愛を与えることができます。
自分の幸せだけでなく、皆の幸せを願い、愛を与えることができるのです。
一方、『心が貧しい人』は、心が愛で満たされていない人です。
心に愛が十分になく、隙間や穴があったり、空っぽの状態であったりします。
そのため、欠乏感に苛まれ、それを埋めようと、埋めるものを探します。
愛だけでなく、モノ、お金、権力、地位、名誉、プライドなど、あらゆるものを欲します。
愛が足りない人ほど、相手や周りの迷惑も顧みず、己の利益のために行動します。
物事を損得勘定で判断し、私利私欲に走ります。
物事を表面的に捉え、自己中心な行動をします。視野が狭く、他人への思いやりが足りません。
しかし、心の欠乏は、モノ、お金、権力、地位、名誉、プライドなどでは、満たされません。
それは『愛』でしか、満たされないのです。
また、欲するものは、意外と手に入らないものです。
欲するという行為は、自分には、それが足りないと言っているようなもの。
未来は、自分の思考や言動により決定します。
「~が欲しい」と行動すると、欲しい状況が現実化するのです。
では、『心が貧しい人』が、『心が豊か』になるにはどうしたらよいか。
それは、愛を求めるのではなく、愛を与えることで手にすることができます。
そのために、特別、大きなことをする必要はありません。
普段の暮らしの中で、自分が直面した物事一つ一つに愛を込めるのです。
食事を作ること、仕事をすること、誰かのために何かをすること、何でも構いません。
相手や世の中の幸せを願い、日々の自分の言動に愛を込めるのです。
また、困っている人がいれば、無理せず、できる範囲でいいので、手を差し伸べるのです。
与えた愛は、回り回って自分に戻り、愛を受け取ることができます。
例え戻ってこなくても、愛に基づいた行動により、誰かの役に立ったという満足感は、心を満たすことができるでしょう。
自分を誇らしくを思えます。
心が豊かな人と貧しい人との違いは、心の中の愛の量。
また、心豊かになる方法は、自分から愛を与えることです。
現代は、物質的には豊かな社会ですが、心が豊かな人は減ってきているように思います。
モノやお金、経済的なものが重視され、心、精神的なものが二の次にされています。
しかし、人間の心は、愛でしか満たされません。
いくらお金持ちでも、地位や名誉を手にしても、愛に満たされない人生に、真の幸せを感じることはないでしょう。
一人でも多くの方が、心豊かな人生を送れるよう、願っています。