”人の数だけ幸せの形がある”
先日、ふと心に、この言葉が浮かびました。
私たちは、唯一無二の存在。
一人一人の顔や体型、性格、価値観などが異なるように、幸せの形も違っていて当然です。
みんなが、同じ幸せの形である必要はありません。
学校に行きたくなければ、無理して行くことはありません。
必要なだけ休んで、また、行けそうになったら、行けばよい。
どうしても行きたくないなら、他の方法で勉強すればよい。
会社に行きたくなければ、無理して行くことはありません。
必要なだけ休んで、また、行けそうになったら、行けばよい。
どうしても行きたくないなら、他の方法で生計を立てればよい。
勉強や仕事ができないからって、負い目を感じる必要はありません。
それで、人間の優劣が決まるわけではありません。
人には、必ず、長所や短所があります。
何かで人よりも劣っていることが嫌なのなら、他のことで挽回すればよいだけのこと。
気にならないのなら、それはそれでいい。もともと勝つ必要なんてないのだから…。
貧乏だからって、見た目が美しくないからって、負い目を感じる必要もありません。
それよりも、心が貧しい、醜い方が問題です。
それは、心の貧しさ、醜さは、自分も周りも不快にさせるから。
みんなが結婚するからって、無理に結婚する必要はありません。
子供がいないからって、親や国に負い目を感じる必要もありません。
それは、生き方や経験の内容が違うだけのこと。
あなたには、やりたいことがありますか?
もしもあるのなら、誰に何を言われようと、やってみればよい。
例え、それで失敗しても、恥じる必要はありません。
そこから気づきを得て、次に進めばいいだけのこと。
何もやりたいことがないのなら、目の前のことに専念すればよい。
無理して、やりたいことを見つける必要もありません。
目の前のことを専念することで見えてくるもの、幸せを感じることもあります。
何もしたくないのなら、好きなだけ、何もせず、ボーとすればよい。
ボーとすることに飽きて、何かをしたくなったら、その時、何かをすればよい。
気乗りしないのに、無理にしても、ろくなことはありません。
私たちは、本来、もっと自由な存在です。
生き方を社会や誰かに決められる必要はありません。
自分の心に従って生きればよいのです。
私たちに使命があるとしたら、自分の人生を楽しむことだと思います。
自分の心に従い、人生を楽しみ、「自分の人生を満喫した!もう、思い残すことはない。」
そう思えるように生き切ることが使命なのではないでしょうか。
言い換えれば、それは、自分の幸せを形にすること。
「これが、自分の幸せの形なんだ」と、胸を張って言えるように、自分の人生を作り上げることが、私たちの使命であり、生まれてきた目的だと思います。
私たちは、人生を使って、自分の幸せの形を表現する芸術家なのです。
あなたは、どのような幸せの形を作りますか?
みんなが、同じ形、同じ色の作品ばかりなんて、面白くありません。
「これが自分の幸せの形なんだ!」
そう言える、オリジナリティあふれる人生という作品を作ってみませんか。