「自分に自信がない」、「もっと自信を持ちなさい」、「あの人、自信過剰よね」…。
私達は、日頃、『自信』という言葉を何気なく使っています。
しかし、『自信』とは、どういうことなのでしょうか?
どうすれば、手に入れることができるのでしょうか?
『自信』とは、文字通りに読めば、「自分を信じること」。
辞書には、意味は、「自分で自分の能力や価値などを信じること」、あるいは、「自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと」と書かれています。
つまり、『自信』とは、「自分はできる」「自分は正しい」と、自分を信じることです。
しかし、「自分はできる」「自分は正しい」と信じることが、真の自信と言えるのでしょうか?
私は、真の自信には、何か足りない、何か必要と感じます。
『信』と言う漢字は、『人』と『言』に分解され、人は「人間」、言は「神への誓い」を意味します。つまり、『信』とは、「神へ誓いをする人」です。
神は、すべてお見通しです。嘘はつけません。誓いは、必ず守る必要があります。
つまり、『信』とは「真実」であり、「誓いを守る=言を成す=誠」であることが必要です。
『自信』とは、「自ら信であること」。つまり、真実の自分が言を成すことです。
真実の自分が有言実行することであり、それにより、真の自信が手に入るのです。
私達は、神の分け御霊。
『真実の自分』とは、「神である自分」であり、「ありのままの自分」です。
また、『神への誓い』の『神』とは、「すべてのものを生み出した根源神」でもあり、「根源神より生み出されたすべての存在」でもあります。もちろん、その中には、自分も入ります。
嘘偽りのないありのままの自分が神への誓い(約束)を守ることが、真の自信になるのです。
自信のない人は、自分と他人を比べ、自分が劣っていると、落ち込みます。
そして、自分を大きく見せたり、他人を小さく見せることで、自身のプライドを保ちます。
中には、自分を消したり、小さく見せることで、衝突を避ける方もいることでしょう。
一方、自信過剰な人は、自分と他人を比べ、優越感から強気に出ます。
狭い見識から物事を判断し、自分の判断が正しいと思い込み、他人を否定します。
そして、自分を意見する人を敵とみなし、受け入れようといません。
自信とは、他人と比較して得るものではありません。
また、本当の自分や他人を偽ったり、争うことで得ることでもありません。
どんなに小さなことでもよいのです。
また、誓いの対象が、根源神、自分、他人のいずれでも構いません。
本当の自分のままで、誓い(約束)を守りましょう。
それが、自信となります。
小さな自信を手に入れたら、今度は、もう少し大きなことにチャレンジしてみましょう。
それを繰り返すことで、自信は成長し、常時、ありのままの自分でいられるようになります。
そうすれば、人生は輝きを増し、本来の能力も発揮できるでしょう。
しかし、人生では、自分に解決できそうもないことに出会うこともあります。
その時は、まずは自力で努力し、それでもダメなら、それが得意な人に救いを求めましょう。
すべての課題を、すべて自分だけで解決する必要はありません。
自分だけでは不可能でも、誰かに繋がることで、大抵のことは解決できます。
誰しも、必ず良い所もありますし、悪い所もあります。
皆が、完全なる神の分け御霊である以上、各々が不完全で当然です。
凸凹があるのが、その人の特徴であり、魅力です。
お互いの凸凹を活かせば、自分一人ではできないことも達成することができます。
お互いを認め、お互いの特徴を活かすことが、大きな自信に繋がるのです。
あなたは、自分に自信を持ってますか?それは、真の自信なのでしょうか?
偽りの自分で物事を成し得ても、真の自信を得ることはできません。
ありのままの自分になって、真の自信を手にしませんか?