真名井神社

皆さんは、京都の天橋立にある真名井神社をご存知でしょうか。

私が知ったのは、10年ぐらい前だったと思います。

ふと、気分転換のために、天橋立に旅行に行き、そこで迷子になり、偶然、たどり着いたのが真名井神社でした。

そして、その真名井神社で、不思議なことが起こったのです。

祠の前で拝み、振り返って歩き出した時に、頭の中で、かごめ歌が流れ始めました。

そして、次の瞬間に、歌詞の最後の『後ろの正面だぁれ』の答えが、『私(自分)』だと言うことがわかりました。

「どういうこと?」

不思議に思った私は、旅行から帰ってから、ネットで真名井神社のことを調べました。

元伊勢であること、そして、かごめ歌発祥の神社であることを知りました。

そして、様々な人が、かごめ歌の解釈をしているのも目にしました。

でも、答えが『私』であることは、よくわかりません。

そのうち、そのことは忘れ、東京でOL生活をストレスを感じなからも続けていました。

毎日、満員電車に乗り、会社で与えられた仕事をこなし、給料をもらい、生活費にする。

人生の大部分を仕事の時間に費やし、それを当たり前だと思う生活を続けていました。

しかし、ある日、ふと思ったのです。

なぜ、私たちには、こんなにも自由がないのだろうかと。

一見、自由な生活を送っているようだけど、法律や常識、親や先生の期待、世間体など、あらゆるものに、自分の人生が支配され、自由が奪われていると。

私たちは、籠の中の鳥ではないかと。
一度切りの人生。もっと自由に自分が好きなように生きてもよいのではないかと。

しばらくして、私は、籠の中から出るために、長年勤めた会社を辞めました。

しかし、いきなり自由になって、堕落した生活を送るのもよくないと思い、私は、会社にいた頃と同じように、生活しました。

これからの人生の長期計画を立て、それを年度、月、日毎の計画に落とし込み、それをもとに行動しようとしたのです。

しかし、両親の介護をしないといけない状況で、その計画は、最初から総くずれ。
何度、計画を立て直しても、計画通りにはいきません。

私は、会社にいた頃とは違うストレスで、イライラしてきました。

そして、ある日、気づいたのです。
会社を辞めたら、籠の中から出て、自由になったと思っていたけど、そうではない。

私は、自分で、新たな籠を作り、その中で、イライラしていたのだと。

また、何か上手くいかないと、自分の期待や希望を遮った、世間、会社、親、上司など、自分を取り囲む、自分以外ものを否定することで、恐れから逃れる言い訳をしていたのだと。

失敗してもよい。周りにどう思われてもいい。
本当に自由になるためには、自分の恐れを認め、その恐れと共に歩むしかない。

そして、これが、かごめ歌の後ろの正面が『私』であるという答えなのではないかと、ふと思ったのです。

籠をかけたのも私、様々な理屈を並べて、自分を守り、籠に閉じ込めていたのも私。

恐れを受け入れ、出ようという勇気さえあれば、いつでも籠から出られる。

もっと、自由に生きることができる。

かごめ歌は、そう言っているのではないかと、気づいたのです。

あなたも、自分で自分に籠をかけて、自由な生活をしていませんか。

もし、そうであるのなら、一度切りの人生です。
その籠から出て、もっと自由に生きてみませんか。