「あの人、プライドが高すぎ!」、「あいつはプライドがなさすぎ!」、「プライドを捨てろ!」など、高すぎても、なさすぎても、また、持つだけでも問題となる『プライド』。
『プライド』とは、いったい、何なのでしょう。
辞書には、『プライド』とは「自尊心。誇り。」と書かれています。
しかし、なんか漠然として、わかるような、わからないような…。
自分を大切にした方が良さそうな意味のようではありますが…。
しかし、自分を大切にし過ぎても、ワガママや頑固に。
かと言って、自分を粗末に扱うと、優柔不断やストレスの原因に。
一体、どうすればよいのでしょうね。
『プライド』の言霊を調べると、下記のように読み解けます。
「瞬間的に振動し、陰が統合されることで、一方へ進む」
「母なる愛を悟り、信念を神意と共にし、異なるエネルギーを融合することで理想社会となる」
つまり、『プライド』には、下記パワーがあるのではないでしょうか。
「瞬間的に心(魂)を揺さぶる」
「ネガティブに感じることに神意を感じ、受け入れることで、良い方向へと通じる」
よくプライドを傷つけられた時には、「心にグサッときた」なんて表現をする時があります。
これが、「瞬間的に心(魂)を揺さぶる」に該当するのかもしれませんね。
自身にとって大切なことだからこそ、心の奥にある魂(本当の自分=内在神)が反応する。
つまり、プライドセンサーが感知する。
しかし、それは、自身の否定とも取れること。快く受け入れるには抵抗がある。
他の人の何気ない言動に過剰に反応し、急に怒りだす人を見かけたことはないでしょうか。
これは、プライドセンサーが感知し、拒否反応を起こしているのでしょうね。
「自分は間違っていない!」「余計なこと言うな!orするな!」「バカにするな!」って。
でも、ここで取るべきは、『拒否』ではなく『受容』。
なぜなら、プライドセンサーは、内在神からの警告サインなのだから。
心にグサッとくるのには意味がある。
それは「本当に今のままでいいの?改めた方が望む方向へと行けるよ。」という神の愛。
それを受け止め、感謝し、大切な何かに気づくことが大切です。
そして、自身を改めることが、警告してくれた神への恩返しなのではないでしょうか。
もちろん、神だけでなく、気づきをもたらした相手にも感謝すべきでしょう。
それを無視し、自らを通すのは『傲慢』。
心にグサッとくる言動をした相手ではなく、あなた自身の中に『傲慢さ』があるのです。
『傲慢』の意味を辞書で調べると、「傲り高ぶって人を見下すこと」。
『傲慢』の言霊は、
「転がり生まれ出る需要を押し出す力が伝わる」
「母なる愛のもとバランスよく調和された形が相殺され、灰となって、改良や別れが生じる」
つまり、『傲慢』には、「自身の我より調和が崩壊し、結局は改めることになるか、それをも拒否すれば、それに関するヒト・コト・モノ等との別れが生じる」エネルギーがあるということ。
簡単に言えば、自らの我により、我が身を滅ばすということなのではないでしょうか。
自業自得という結末になるということ。
それならば、プライドセンサーを受けた時に、素直に応じた方がよいですよね。
大切な何かに気づき、自身を改めることで、望ましい未来を手にすることができるのですから。
何事も、完璧だと感じ、成長を止めた時から崩壊が始まります。
人も大自然も宇宙も、永遠に成長していくもの。
この世に誕生し、崩壊と再生と繰り返しながら、成長するのです。
それが、自然な流れであり、宇宙の法則。
それを止めたり、逆行させる行為は、自ら崩壊への道を早めるだけです。
それは、形や日本文化にも通じるもの。
生け花や日本庭園では、敢えて、左右非対称にします。
完璧にバランスが整っているものは、『完成』や『完璧』を意味するからです。
あの日光東照宮も「完成と同時に崩壊が始まる。未完成であれば永遠に崩壊することはない」と、わざと一部の柱を逆にしたり、左右の絵を変える等して非対称にしているとのこと。
”自分は、まだ未完成”という『謙虚さ』と、”新しいものを取り入れよう”とする『素直さ』が、さらなる成長・発展をもたらします。
心にグサッとくるというプライドセンサーが感知したら、何かを改める時。
その何かに気づきましょう。
『謙虚さ』と『素直さ』が、我が身を助けます。
この内容が、どなたかのお役に少しでも立てれば幸いです。