真面目で優しい女性

私たちは、幼い頃から『真面目であること』や、『人に優しくすること』を求められます。

周囲の大人や世間から当たり前のように教えられ、受け入れ、そうであると褒められます。

真面目であること』や『優しいこと』ことはである。

それに異議を唱える方は、ほとんどいないのではないでしょうか。

しかし、日本人の国民性とも言える『真面目で優しいこと』。

これは、果たして、本当に良いことなのでしょうか。

確かに、『真面目で優しいこと』は、周囲との軋轢(あつれき)を減らし、周囲の期待に応えることも多く、周囲から好感を持たれることも多いでしょう。

周りからの信頼も厚く、世間が言うところの順風満帆な人生を送れる可能性も高いと言えます。

しかし、『真面目で優しいこと』は、私たちを幸せにするでしょうか。

真面目』の言霊は、

受容が示され、指向することにより、調和がもたらされる

先にあるものを心眼で見極め、内なる善を信じ、理想に向かって歩み続けることで、理想実現の扉は開かれる

つまり、『真面目』であることには、受容が前提条件であり、心で納得し、それに向かって行動することで、調和や理想実現を手にすることができるのです。

裏を返せば、受け入れられないもの・心で納得できてないものは、いくらそれに向かって行動しても、自分が心から望む調和や理想は手に入らないということ。

心が納得しないまま、他人の意向を受け入れ真摯に取り組んでも、意向主との調和は保てても、自身の心身のバランスを保つことや自身が心から望む理想を実現することは難しいでしょう。

また、人間誰しも、受容するにも限度がありますからね。

それを無視しては、自分を追い込み、そのまま突き進むと、自己の崩壊にも繋がります。

一方、『優しい』の言霊は、

飽和し、遮りが消え、伝わることで、調和したものが根源から分かれ出る

心素直に第一歩を踏み出し、自身のバランスを振り返り、神意と共に生きることで、嬉しいと感じる

つまり、『優しい』ということは、相手に同調することにより、愛が溢れ出るものであり、心からそうしたいと願うものであり、自身とのバランスや神意を考慮した上で行うもの。

そうすれば、自身に喜びをもたらします。

イヤイヤするものでもないし、見返りを求めるものでもない

また、無理するものでもないし、表面的に捉え、感情のままに流されるものでもない

なぜ、このような状況にあるのか。神意は何か。自分は手を貸すべきか。何をすべきか。

冷静に判断した上で、行うべきものなのです。

ほっとけないと、何もかも手を貸すと、相手の学びの機会や自尊心を奪うことにも繋がります。

断れない、良く思われたいからと、相手の要求に応じていると、依存や傲りを生みます。

また、相手が望んでもいないことを押し付けると、相手にとっては迷惑重荷になります。

それらにより、自身の『優しさ』は、失望怒りストレスへと変貌することでしょう。

つまり、『真面目であること』や『優しいこと』ことは、必ずしもとは限らないのです。

それが、自分自身や相手にとって、になることもあるのです。

真面目で優しいこと』がであるには、下記4点に注意が必要です。

自身の心(魂)に従う

神意を汲み取り、それに従う

無理しない

見返りを求めない

そうでないと、幸せから遠のき、苦しむことになるでしょう。

自分が抜け殻や操り人形のように感じたり、手枷や足枷を嵌められているように感じたり、カゴの中の鳥のように感じることでしょう。

孤独に感じることもあるのではないでしょうか。

今は、時代の変わり目。

今までの当たり前が当たり前でなくなり、今までの常識が常識でなくなります。

今まで善だと信じていたことが悪になることもあるのです。

だから、今までの当たり前・常識・善などを疑いもせず、貫くことは注意が必要です。

良かれと思ってしたことが、苦しみに変わることも多くなります。

これからは、愛と調和の世界

愛(真心・無償の愛)を起点したものでないと幸せには繋がらない。

それは、自身の心(魂)、神に沿うことでもあります。

なぜなら、神のエネルギーは、だから。

そして、魂は、大いなる神の分け御霊だから。

また、調和、バランスを取ることも大切。

それは、自分自身、人間関係、自然界など、あらゆる面での調和であり、バランスです。

しかし、それは、均質になることもでもないし、均等であることでもない。

誰かに支配・管理されるものでもない。

自分の人生は自分で舵取りし、自分らしく輝きながらも、無理しない程度に助け合うことで、愛で繋がり、全体としての調和を保つこと

それが大切になります。

それは、大和(大調和)の世界であり、フラワーオブライフの世界。

もし、その世界を望むのであれば、そこに方向性を定め、人生の舵を取ること。

他人に舵を取られたり、今までの悪しき流れに身を任せないこと。

そうしないと、濁流に飲まれ、転覆したり、意図しない所に流れ着きます。

それは、一見、善と感じる『真面目であること』や『優しいこと』においても同じです。

この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。