先日、父が他界しました。
5年前、家族旅行に出掛ける前日に父が倒れ、そのまま病院へ行き、緊急手術。
術後、回復すると思いきや、胃ろう、寝たきりの生活となり、気づくと長い月日が流れました。
食欲旺盛でスポーツ万能、聡明で、誰もが認める美男子だった父が、食べることも歩くこともできず、日に日に衰えていく姿を見るのは、家族としても、辛い日々でした。
もちろん、父自身も辛かったかと思います。
しかし、もともと口数が少ない上、なかなか本心を表に出さない父は、一度も弱音を吐くこともありませんでした。
そんな辛い日々から解放され、父も、私たち家族も、ある意味、よかったのかもしれません。
しかし、心の中に、何か、ぽっかりと大きな穴が空いたような虚しさがあります。
また、もう二度と父に会えないのかと思うと、悲しさがこみ上げてきます。
天真爛漫で明るく元気な母の陰に隠れ、家族の中では存在の薄かった父。
でも、いざ、その父がいなくなって、はじめて、その存在の大きさを感じています。
父は、ずっと静かに、私たち家族を包んでいたのだと、今になって気づかされました。
そして、それ以外にも、父がいなくなった今になって、気づいたことがあります。
私は、恵まれた環境に生まれ、両親の愛情を受け、特に大きな苦労もせず、育ちました。
そのことには、とても両親に感謝しています。
しかし、その両親に対して、唯一の不満というか、疑問だったことは、一度も、クリスマスプレゼントをもらったことがないことです。
幼い頃、私は、兄が、夜寝る前に、枕元に靴下を置いている所を見つけました。
どうして、そんなことをするのか訊ねると、「良い子にしていると、明日の朝、サンタさんが、靴下の中にプレゼントを入れてくれるらしいよ」と、兄は、得意気に、私に教えてくれました。
どうやら、幼稚園の友達に聞いたらしいのです。
それならば、悪いことをした覚えはないし、自分もプレゼントがもらえるのではないかと、私は、ワクワクして、兄のマネをして、自分の靴下を枕元に置いて寝ました。
しかし、次の日、目が覚めて、急いで、靴下を見ても、何も入っていません。
「これは、どういうこと?」
「私は、良い子ではないの?それとも、サンタさんという人が道に迷って来れなかったの?」
私は、何が何だかわからず、母に聞きました。
すると、母が、こういったのです。
「うちは、仏教だからよ。サンタさんは、キリスト教のお家しか行かないの」
幼い私には、その意味がよくわからなかったけれど、自分が対象外であることはわかりました。
自分が良い子ではないから、プレゼントがもらえなかったわけではない。
そのことには、ほっとしたものの、何か、心がモヤモヤします。
「いくら良い子にしても、キリスト教のお家じゃないと行かないなんて、サンタさんという人は、なんてイジワルなの。」
その日以来、私の中では、サンタさんは、すっかり悪者になりました。
それから、月日が流れて、クリスマスプレゼントは親が子供に贈っていると知ると、今後は、サンタさんへの嫌悪感から、うちの両親への疑問に変わりました。
「貧乏なわけでもないのに、どうして、クリスマスプレゼントをくれないのだろう?」
と、クリスマスが来る度に、どこか寂しい想いをしていました。
別に、欲しいものがあったわけでもないし、何かが欲しいというわけでもなかったけれど…。
さらに長い月日が流れ、クリスマスコンプレックスを抱えた私も、随分と、いい大人に。
しかし、世の中は、相変わらず、毎年のように、クリスマスの度に大騒ぎしています。
「クリスチャンでもないのに、日本は、なんでクリスマスに大騒ぎするんだろうね。」
ある日、多くの人がクリスマスに浮かれているニュースを見て、母が、ぽつりと言いました。
「確かにそうだけど、でも、少しは、それに乗ってもいいんじゃないの?」
そう言って、私は、幼い頃、クリスマスプレゼントがもらえず、寂しかったことを伝えました。
「それは悪かったね。プレゼントを贈ろうという発想すら、浮かばんかった。
お母さんが小さい頃は、クリスマスプレゼント贈る習慣はなかったし、元旦生まれの自分は、親に誕生日プレゼントをもらったこともなかったし…。」
あっけらかんと、そう母に言われ、「そういうことか」と、ようやく長年の疑問が解けました。
それから、数日して、母から、クリスマスプレゼントの話を父にしたという話を聞きました。
年老いて、すっかり涙もろくなった父は、その話を聞いて涙したと言います。
「そんなに泣くんなら、今からでもすればいいじゃんって言ったら、黙ってたけどね。」
相変わらず、あっけらかんと無邪気に話す母に呆れつつ、そうしたくてもできない、寝たきりの父を思うと、辛くなりました。
それから、約一年後、父は、この世から旅立ちました。
無事、葬儀が終わり、久しぶりに家族揃って実家に帰り、ぼんやりとしていた時、私は、ふと、昔、父からもらったオルゴールのことを思い出しました。
幼い頃、突然、父が、私に、そっと手渡してくれたオルゴール。
「誕生日でもなにのに、どうして??」と思いながらも、宝石箱のような外観と、ネジを回すと美しい音色が流れる不思議な入れ物に魅了され、私は大喜びして受け取りました。
そして、そのオルゴールを見る度に、お姫様気分になり、私の一番の宝物になりました。
しかし、その宝物も、時が経つにつれ、存在は薄れ、いつしか、引き出しの奥にしまわれたまま、忘れられた存在になりました。
そのオルゴールのことを、ふと思い出したのです。
私は、引き出しの中を必死に探し、ほこりで汚れたオルゴールを見つけました。
もう何十年も経っているし、音が鳴るのだろうか?
そう思って、ネジを回そうと、オルゴールの底面を見て、私は愕然としました。
S.○○.12.24 パパより
そこには、こう書かれていたのです。
幼かった私は、その文字がどういう意味かわからないまま、ネジを回していました。
でも、今はわかります。
それが、父からのクリスマスプレゼントだということが…。
病気と老化で記憶をなくした父は、クリスマスプレゼントを贈ったことも忘れたのでしょう。
日付を見ると、あの枕元に靴下を置いてサンタさんに失望した次の年のクリスマスでした。
クリスマスプレゼントをもらったことがないなんて言って、ゴメンなさい。
ただでさえ、体の自由が利かず、辛い状況なのに、泣かせてしまってゴメンなさい。
後悔の念と、さり気ない父の愛に、今まで我慢していた涙が、一気に流れ出ました。
ネジを回しても、音の鳴らないオルゴール。
そのオルゴールが、物静かな父、寿命を全うした父と重なり、胸がいっぱいになりました。
「クリスマスプレゼント、ちゃんと、もらってたよ。ありがとう。
あなたの子供に生まれて、私は幸せ者です。」
私は、オルゴールを父のお位牌の前に置き、そう、父に伝えました。
音の鳴らないオルゴール。
長い月日を経て、ようやく、あの時、父が、私に手渡してくれた意味を知りました。
それならそうと、あの時、クリスマスプレゼントだと言ってくれればよかったのに…。
でも、照れ屋で、口下手な父は、言えなかったのでしょう。
音の鳴らないオルゴール。
今は、もう、あの美しい音色は聞けないけど、父の愛が詰まった私の宝物です。