誰かに親切にしたり、尽くしたにもかかわらず、嫌な気分になったことはありませんか?
周囲に振り回され、したいこともできず、イライラしたり、疲れたことはありませんか?
優しくした相手に横柄な態度を取られたり、非難されたり、無視されたり、金品を要求されたりと、恩を仇で返すようなことをされたことはありませんか?
「どうして、このような理不尽な出来事が起きるのだろう?」
「世の中は、自分のことだけしか考えていない人ばかりで嫌になる。」
そう思ったことはありませんか?
実は、そう言う私も、その一人。
この訳が分からない状況に、長年、悩まされてきました。
でも、これって、起きるべくして起きているんですよね。
心が優しい人や親切な人。
いわゆる、お人好しな人は、困っている相手をほっとけず、相手の力になろうとします。
心配性な人や世話好きな人、お節介な人。
そういう人は、求められてもいないのに、ついつい口出ししたり、力になろうとします。
断れない人、場の空気を読む人、押しに弱い人。
そういうタイプも、本当は嫌なのに、ついつい、相手の言い成りになります。
いい人と思われたい、認めてもらいたい、いいことをして気分よくなりたい…。
理由は、さておき、無理してでも、相手の力になりたい人がいます。
しかし、いいことをしたのに、感謝もされず、さらに要求されたり、恩を仇で返されたり…。
その結果、イライラしたり、ドッと疲れたり…。
これは、あなたの『与えすぎ』から来るものです。
与えすぎると、相手には、それが当たり前になります。
そして、あなたが与えないと、相手は不満になります。
与えすぎると、相手は、自分の方が上の立場と認識します。
そして、上から目線で、次々と要求します。
与えすぎると、相手は、窮屈になります。
支配されたくない、自由を奪われたくないと、逃げようとします。
何事もほどほどに。親切もすればいいと言うものではありません。
相手が、その状況を打破するのに必要な量と与える量。
このバランスが崩れると、感謝の領域を超え、不幸のもととなります。
親切と言うプラスのエネルギーの過剰分がマイナスとなって自分に戻ってくるのです。
また、場合によっては、敢えて与えない方が、相手を救うことになることもあります。
いくら相手が求めてきても、その苦しい状況を経験し、気づきを得ることが、相手の力や自信、今後のヒントに繋がる場合もあります。
でも、与えるべきか、また、どこまで与えるのか。それを判断するのは難しいですよね。
そういう時は、まず、それを『相手が求めているか』判断しましょう。
親切の押し売りは迷惑です。
かえって、相手に、余計な手間をかけさせたり、気を遣わせたりすることにも繋がります。
また、自分は、「信用されていない」、「見下されている」と受け取られることもあります。
自尊心が傷つけられ、親切にした相手を恨むことさえ、あります。
「自分には必要ない」、「バカにするな!」と反撃されたり、無視されることにも繋がります。
また、『無理しない』ということも、判断基準として重要です。
他にしないといけないことがあったり、なんか気が乗らない…。
そういう時は、あなたの出番ではないということです。
相手を傷つけないような事情を話し、距離を取りましょう。
他には、『相手のためになるのか』という視点も必要です。
それは、上から目線な言動を推進しているのではありません。
そうではなく、物事を俯瞰的に見る、様々な角度から見て判断する必要があると思うのです。
例え、失敗することが目に見えても、その物事は、その人に必要があって起きているのです。
あなたが助けることで、相手の学びの機会を奪ってはいけません。
それでも、どうしてもほっとけない。
その場合は、ちょっとした助け舟程度にしておきましょう。すべてを解決してはいけません。
相手が後から振り返った時に、「自分で乗り越えた」そう思える程度にしておきましょう。
手出しすることが、優しさや愛とは限りません。
何とかしてあげたい。でも、グッとこらえ、見守るのも愛ではないでしょうか。
互いに助け合うことは大切です。
しかし、自分が手を出すべきか。その判断は必要かと思います。
日本人は、基本的に親切な人が多い民族です。
しかし、親切すぎるのも付け込まれます。
相手をワガママにさせ、結果、自分が困ることに繋がります。
『与えるべきか』という判断と、『敢えて与えない』という心の強さも必要です。
なお、逆に、『貰いすぎ』も、過剰分が、マイナスエネルギーになって、自分に戻ってきます。
与えすぎず、貰いすぎず、何事も、ほどほどが大切です。
互いに、依存せず、自立した人間として、支え合う。
それは、良好な人間関係を築くには、また、自由に生きるには、大切なことではないでようか。