1985年に男女雇用機会均等法に制定されて久しいですが、真の平等は確立されたでしょうか。
確かに、少しずつ、変わってきています。
しかし、世界に視野を広げると、日本は、まだまだ、男女平等の意識が薄いと言えます。
世界経済フォーラムが、毎年、発表する世界各国の男女平等の度合いを示す「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は100位以下。しかも、順位が下がってきています。
いかに、世界に比べ、男女平等への取り組みが遅れているかがわかります。
これは、男女平等への取り組みが表面的なものであったり、本質的なものからズレたものになっているからではないでしょうか。
企業でも、様々な取り組みがされています。しかし、それは、本当に、男女問わず、すべての人にとって、よりよい方向へと向かっているのでしょうか。
なんかおかしい職場の男女平等、真の平等について書いてみたいと思います。
なんかおかしい職場の男女平等
では、私が感じる、企業・職場における、おかしな男女平等をご紹介します。
1.学校教育との格差の黙認
まず、最初は、『学校教育との格差の黙認』です。
学校教育では、差別はいけないと教えられ、基本、男女平等のもと、学校生活を送ります。
同じように、授業を受け、成績をつけられます。
それが、社会人になった途端、いや、なろうとした時から、平然と差別が始まります。
職種、雇用条件、給与、評価、昇格、仕事内容など、様々な面で、男女格差が生じます。
学生時代は、女性の方が真面目で、成績の良いといった状況も多いのではないでしょうか。
また、男性よりも女性の方が強い傾向にあります。
それが、社会人になった途端、平然と、女性は、男性よりも劣った扱いをされます。
立場が逆転します。どんなに、能力があってもです。
今は、一昔前に比べると良くはなってきています。
しかし、それでも、自分の扱いに、衝撃を受ける女性も多いのではないでしょうか。
学校で学んだ平等とは何だったのだろう。そう思わずにはいられません。
2.全女性が対象ではない
政府主導のもと、男女格差是正のための取り組みがされています。
それをもとに、企業も、様々な取り組みをしています。
しかし、その取り組みは、『全女性が対象ではない』ということも多いのではないでしょうか。
一部の広告塔となった女性のみが活躍し、他の女性は、以前のまま。
女性間で格差が生じていることも多いのではないでしょうか。
新しく採用する女性のみが男女平等の扱いで、それ以前からいる女性社員の立場は変わらない。
入社年度による女性間格差も多いのではないでしょうか。
同じ大学を卒業した先輩が一般職で、後輩が総合職。
仕事の能力に関係なく、後輩の方が職級や給与が上…。なんか、おかしくはありませんか。
また、政府が推進する、女性管理職比率という数値目標。
しかし、この数値目標自体が、おかしいのではないでしょうか。
数値ではなく、女性管理職が少ない原因となっている仕組みや意識を変えるよう、指導すべきです。現状、管理職に相応しい人物がいないのなら、無理に管理職にさせる必要もありません。
数値目標を立てれば、企業は、その数値目標の達成、数合わせに躍起になります。
今まで差別していた女性を、急に、無理矢理、昇格させ、表面を繕います。
そして、目標を達成すれば、安堵し、それ以外は、従来通り…。
男女平等を推進するのなら、全員を対象にし、根本的なところを見直すべきです。
一部のみで実施すると、新たな差別を生みます。
表面だけの改善では、状況は、なかなか変わりません。
3.女性のみによる取り組みの推進
企業で、男女平等の推進をする上で、やりがちなのが、『女性のみによる取り組みの推進』。
仕事中に、女性のみで話し合いをしたり、何かプロジェクト活動をしたり…。
男女平等を推進するのに、どうして、特別に、女性のみが何かしないといけないのでしょうか。
要は、今まで、男女格差があった、職種、雇用条件、給与、評価、昇格、仕事内容などを、全従業員に対し、見直せばいいのではないでしょうか。
また、それらを、急に見直しても、今まで差別されてきた女性は戸惑います。
そのフォローをすべきです。
また、雇用制度や条件を見直しても、意識が変わらなければ、真の平等が根付きません。
男女共に、意識改革を推進すべきです。
4.女性優遇による逆差別
男女平等の推進のもと、『女性優遇による逆差別』といった現象が生じている会社もあるのではないでしょうか。
政府が推進する女性管理職比率の目標達成のため、能力に関係なく、一部の女性の出世が早い。
こうなると、男性が不満を持つのも当然です。
当人に、それだけの能力があるならまだしも、そうでない場合も多々あります。
「何で、自分が、この人に下に就かないといけないのか?」
男性に限らず、女性も不満に思うのではないでしょうか。
部下に、そう思われながら、管理職を務める女性も不幸です。
そんな男女平等のための取り組みは、誰も幸せにしません。
5.すべてが平等
男女平等の推進のもと、『すべてが平等』というのも、行き過ぎではないでしょうか。
いくら平等といったも、性差によるフォローはすべきです。
子供を産み、母乳を与えられるのは、女性のみです。
また、子供にとって、母親の存在は特別です。子供と一緒にいられるよう配慮はすべきです。
体力、腕力の差や身長差などもあります。夜道を歩く危険度も違います。
いくら平等でも、本人の意思や努力ではどうにもならないこともあります。
それは、会社や周囲がフォローすべきです。
それは、男女間だけでもありません。
体に障害を持つ人や、家庭的な事情がある人など、組織には、様々な人がいます。
弱みはフォローし、強みは最大限に活かせるようにする。
そういう体制を整えるべきではないでしょうか。
いかがでしょうか。以上が、私が感じる、企業・職場における、おかしな男女平等です。
男女差別だけでなく、会社組織の中には、学歴や雇用形態など、他にも様々な差別があります。
差別の問題は、個人の希望や能力に関係なく、ある一定の枠で、強制的に制限されたり、強要されることが問題なのではないでしょうか。
すべての人が、イキイキと個人の能力を発揮するには、個人の能力を発揮、認められる機会が平等にあることが大切です。それは、すべてを平等にすればよいというものでもありません。
法律や政策も、表面上の改善や一部の改善といった、抜け道を作るのではなく、根本的な改善・解決になるものを推進していただきたいものです。
そうでなければ、真の平等を実現することはできません。