『愛は信頼であり自由である』
先日、朝の目覚めと共に心に浮かんできたこの言葉。心に、ズシリと来ました。
親子愛、家族愛、男女愛、夫婦愛、友愛、師弟愛など、世の中には、様々な愛があります。
しかし、自分では、愛のつもりでも、相手にとっては迷惑なことって多々ありますよね。
親子の間では、特にそのようなことが起こるのでないでしょうか。
小さな頃は、親の手助けなしには生きていけない子供も、成長と共に、自分の意思や希望を持ち、自分の幸せを求めるようになります。
しかし、親にとっては、いつまでも子供。ついつい、子供の人生に口出ししてしまいがちです。
親からしたら、子供の幸せを願っての言動でも、子供にとっては、束縛や支配であることは、往々にしてあります。
親が思う幸せが、子供にとっては、幸せとは限りません。
一人一人の顔が違うように、幸せのかたちは、人の数ほどあります
親子関係に限らず、人間は、ついつい、自分の物差しで物事を判断し、『愛』、『親切』、『心配』という名のもとに、相手の自由に制限をかけたり、奪います。
でも、これは、自分の中にある劣等感・虚栄心・嫉妬・孤独などを満たすための欲やエゴである場合が多いのではないでしょうか。
劣等感・虚栄心・嫉妬・孤独といったネガティブな感情からは不安や恐れが生まれます。
そして、最悪の状況を避けるために、相手の人生に、自由に、介入するのです。
例え、「あなたのためだ」と言われても、自由を奪われた相手は、自分を信頼していないのだと失望することでしょう。
相手の意志や希望を遮り、行動を押し付けることが、愛とは言えません。
相手に自分で選択し行動できる自由を与えるのが愛です。
そして、相手を信じ、温かく見守り、相手がピンチに陥った時に、そっと寄り添ったり、救いの手を差し伸べるのが愛ではないでしょうか。
しかし、それも、やり過ぎは、よくありません。
相手が解決すべき課題を代わりに解決したり、逐一指示するのは、越権行為です。
相手の人生の選択権も責任も、相手にあります。
本人の課題は、本人が果たさない限り、ずっと似たような出来事が起きるでしょう。
すべてしてあげるのが、優しさや愛ではありません。
それは、自己満足であり、相手から認めてもらいたいからです。
『愛は信頼であり自由である』
『束縛や支配は欲でありエゴである』
このことを忘れず、他の人との関係を築きたいものです。
なお、相手の自由を認めるといっても、犯罪を犯したり、人様に迷惑をかけるのを見逃したり、手助けすることをお勧めしているのではありません。誤解なきようお願いいたします。