明日は、節分ですね。
今年の節分は、124年ぶりに、2月2日。
何か意味のある、大切な節分なのかもしれません。
ところで、皆さんは、節分や豆撒きの意味をご存知でしょうか。
節分とは、季節の分け目。
本来は、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を、節分としていました。
しかし、その中でも、新しい春の訪れである「立春」は、新しい一年の始まりということで、最重視され、今では、「立春」だけが、節分として残っています。
また、「鬼は外、福は内」という掛け声で行う豆撒きは、「邪気を払い、福を招く」儀式。
豆撒きが終わった後は、炒って邪気を払った福豆を年(数え年)の数ほど食べると、健康で幸せな一年が過ごせると言われています。
それが、節分、豆撒きの一般的な解釈。
しかしながら、何事も、表があれば、裏があります。
日本は、何でも二本立て。そして、表に見えていない裏こそ、真実を表します。
節分にも、裏の意味があるのです。
『節分(セツブン)』の言霊(数霊)を読み解くと、下記の通り。
「光を受容し、集まって、増えて、押し出す力」「根源から出て増えることを受容する」
「止まって増える」「放射」
「相反するものを和同させ、自ら水(相手に合わせ自ら自在に変化できる力)となり、月を道先案内人として、意識を高め、内なるリズムに身を任せて生きることで統合し、新たに始まる」
「見方一つで、人との出会いが貴重なものとなり、変容することが可能である」
「物事が段階を追って成就し、一体となって完成する」
上記から、イメージとして浮かぶのは、冬の間、土の中で、力を蓄えた種子が、春の訪れ共に、硬い殻を破って、芽を出し、蓄えた生命エネルギーを一気に放射する様子。
それは、心の奥にいる本当の自分(高次元の自分)が光(愛)のパワーを蓄え、人生の春の訪れと共に、殻を破って、表(現実世界)に出て、光を放つことを意味していると思われます。
また、そのためには、下記を行う必要がありそうです。
闇(敵)と感じるものから気づきを得て、和合し、自らを変容させる
直感やシンクロニシティといった神秘的なものや、ワクワクする、ホッとするといった心(魂)の反応を道先案内人とする
では、豆撒きには、どんな裏の意味があるのでしょう。
『豆撒き(マメマキ)』の言霊(数霊)を読み解くと、下記の通り。
「需要し、芽を受容するエネルギー」「減少する」「陰が根源から出る」
「変化の時に姿勢を正し、心の聖域を見つめながら、まっすぐに進み、統合し新たに始まる」
「調和」「根源そのもの(陰陽)のバランスが整う」
「物事が段階を追って成就し、一体となって完成する」
どうやら、豆撒きには、陰陽のバランスを整え、調和をもたらすエネルギーがあるようです。
そして、殻を破り、本当の自分(高次元の自分)を表(現実界)に出すのです。
殻とは、自身の心の曇り。
心の曇りが壁となって、本当の自分(高次元の自分)と現実世界を隔てています。
その隔たりを取っ払おうというのが、豆撒きなのです。
鬼は、自分自身の陰であり、福は、神である本当の自分(高次元の自分)。
その両方に、豆を巻くことで、心の曇りを取り、神である本当の自分(高次元の自分)を表に出そうとしているのです。
ちなみに、『外(ソト)』の言霊(数霊)を読み解くと、下記の通り。
「外れて統合する=光そのものが統合する」「新しい陽が調和し、引き寄る」
「引き離す遮りから転がり出ることを受容する」
「大自然の気に意識を合わせ、開花と祝福のメッセージを受ける」
「叡智をもたらし、会得することで、栄転し、王となる」
「自由自在となり、大自然の意に生かされて一体となって弥勒の世に進んでいく」
「バランスを整え、一から二極に分かれることで現実界に現れる」
これらから、闇(鬼)が光(神)であることに気づくことで、分離した光が統合し、より成長した光(神)となって、真の自由を手にし、大きな流れに一体となって弥勒の世へと進むこと。
そして、いずれ、また、分離して、現実界に現れることが読み取れます。
また、『内(ウチ)』の言霊(数霊)を読み解くと、下記の通り。
「生まれ出る凝縮=根源から出て放射し、増えて調和する」
「充電して芽を出す=新しい陽を受容して芽が出す」
「消失して離れる=振動して新しい陽となり離れる」
「バランスよく調和された形で完成し、天地にそって生き、愛の意志を貫く」
「二極は互いに相克しながら一極を目指し、安泰をもたらす」
上記からは、下記のようなことが読み取れます。
長い間、エネルギーを蓄え、闇を光として受け入れることで、母なる源から離れ、独り立ちした光(神)が放射される。
それが、調和した形で完成し、天地にそって生き、愛の意志を貫く。
この文章を書きながら、以前、書いた記事を思い出しました。
私たちは、母なる源である豊受大神から魂をいただき、陰陽に分離することで、現実界に現れ、人(陽)としての人生を歩みます。
その間、もう一人の自分である陰は、母なる源に繋がった状態で、心の奥から人生をサポート。
現実界の自分が作った心曇りを自身の光を当て、現実界に影を落とし、闇(敵)を作ることで、気づきを促しているのです。
そのことに、現実界の自分が気づき、心の曇りを取り除いた時に、陰陽が光として統合する。
そして、今まで繋がっていた母なる源から離れ、神として独り立ち(輪廻転生のループから卒業)し、真の自由を得て、他の神と調和する形で繋がることで完成する。
それは、タンポポの綿毛が、独り立ちしながらも、繋がり合うようなもの。
それこそが、神聖幾何学『フラワーオブライフ(生命の花)を開花させる』ことであり、
『天照大神となる』こと。
仏教では、蓮華(ハスの花)として、表されているようです。
それは、同時に、大調和である大和をも意味します。
だからこそ、大和の民である日本人は、節分を大切にし、豆撒きをするのです。
節分は、『神となり、繋がり合って、大輪の花となることを願うもの』なのです。
そして、豆を年(数え年)の数ほど食べるのは、年を重ねるほど、心の曇りが多くなりがちだからではないでしょうか。
心の汚れが気になる方は、福豆を多めに食べた方がいいかもしれませんね。
なお、今年の節分は、124年ぶりの2月2日。
124の数霊は、
「根源から出て増える新しい陽」「調和」「離れる」
「謝罪と解毒(デドックス)と感謝」
「身を振り返り、至らぬ所を詫びる謙虚さを持って感謝に至ると、次なる羅針盤が示される」
「存在の本質である霊の陰陽が安定しながら四方に広がる」
「物事が段階を追って成就し、一体となって完成する」
「大自然の意に生かされて一体となって弥勒の世へ進んでいく」
22の数霊は
「次々と増える新しい陽」
「次々と分離したものが安定しながら四方に広がる」
どうやら、天は、大調和である大輪の花を咲かせることを加速させるようですね。
ちなみに、23の数霊は、
「増えて光が伝わる」
「陰陽がバランスよく調和されて完成し、変化して、神意と共に生きる」
23より、22の方が、パワフルなのがわかるかと思います。
明日は、いつもよりも、パワフルな節分。
『神となり、繋がり合って、大輪の花となる』べく、我が身を振り返り、天地人すべてのものにに至らぬ所を謝罪し、感謝していただければと思います。
この内容が、大輪の花を咲かせることに、少しでもお役に立てれば幸いです。