『信じるところに道ができ、愛の種を蒔き、尽くすところに花が咲く』
昨日、ふと降りてきた言葉です。
秋分の日以降は『一人一人が光り輝くことが求められている』と感じている今日この頃ですが、さらに、それを後押しするような言葉を受け取りました。
『信じるところに道ができる』
もっと具合的に言うと、『自分の信じるところに道ができる』
つまり、「自分が信じたことが現実化していく」という意味です。
ちなみに、『信じる』の言霊を読み解くと下記の通り。
「現象が押し出す力により現象化され、留まる」
「受容するもの」
「扉」
つまり、『信じる』とは、
「受け入れることであり、その受け入れたものが現象化する扉を開く」こと。
だから、何を受け入れるかが大事。
どうせなから、自分の心(魂)が喜ぶことを受け入れたいですね。
最近は、不安を煽るような情報が飛び交っていますが、安易に受け入れないことが大切です。
自分がそれを受け入れなければ、現実化しません。
望まない未来は、鵜呑みにしない・受け入れないように気をつけたいですね。
一方、何でも信じれば、道ができるかと言えば、そうはいきません。
それには、『自信』を伴う必要があります。
『自信』といっても、根拠のない自信である『自惚れ』ではないですけどね。
『自信』の言霊は、
「現れる現象を押し出す力」
「内なる善に従い、自身のバランスと整え、(相反するものを)統合することで始まる」
「魂が望む方向に運命が開けて行っている証」
一方、『自惚れ』の言霊は、
「調和を突き抜き、引き離され、消失する」
「死」
「バランスよく調和された形が離散し、志願するもののバランスと繋がりの出口」
『自信』と『自惚れ』では大違い。
『自信』は「内なる善に従い、調和のもとで開運し、望むものが現実化する」のに対し、
『自惚れ』は「調和を乱し、望むものを消失させる」エネルギーなのです。
『自惚れ』から信じても、望みは消失することを覚えておきましょう。
一方、『愛の種を蒔き、尽くすところに花が咲く』
この花とは「心の花」。
そして、心の花が咲くとは「本当の自分である魂の輝きを放つ」こと。
そのためには、物事の起点を『愛』とすることが大切です。
『愛』の言霊は、
「ものごとの始まりが、神意(愛)と共にある時、ものごとが生成・安定化する」
『愛』こそ、成功・喜びの素なのです。
例えば、もしも、あなたが歌手になることで輝きたいのなら、
「脚光を浴びたい」「贅沢な暮らしをしたい」といったエゴではなく、
自分の歌で「みんなを元気したい」「癒したい」など、愛を起点にするのです。
エゴでは、例え現実化したとしても、心の花は咲くことはないでしょう。
また、『愛』を起点にするだけでなく、『尽くす』ことも大切です。
『尽くす』の言霊は、
「集まり、引き寄り、一方へ進む、調和する広がり」
「自ら水になる(澄み切った落ち着いた心境で、自我を捨て相手に合わせる)ことで、
末広がりとなる理想郷の入り口」
「上昇気流に乗った運気の始まり」
『尽くす』ことで、チャンスやサポートが集まり、流れに乗り、望むところに辿り着きます。
但し、自ら水になる(澄み切った落ち着いた心境で、自我を捨て相手に合わせる)がポイント。
「自分は歌が上手だろ!どうだ!」
「これが自分の歌だ!この良さがわからないのはどうかしてる!」
なんてのは、『尽くす』ではありません。
対象としている人々や世の中が求めているものに応えたり、寄り添うのが、『尽くす』です。
周囲が自分を合わせるように仕向けるのではなく、自分を変化・変容させるのです。
なお、蒔いた愛の種には、水がないと成長しません。
自らが水となり、愛の種に自らを捧げることで、芽が出て、成長し、花が咲きます。
この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。