『悪魔=空く間』
先日、この文字が、ふと脳裏に浮かびました。
「えっ?どういうこと?」って感じですよね。
こういう時は、言霊・数霊を調べるに限ると思い、早速、調べてみました。
『悪魔(アクマ)』を読み解くと、下記の通り。
「感じ、引き寄り、需要を放出する」
この場合の感じるものとは何かと言うと、どうやら、心の隙間のようですね。
心は愛でしか満たされませんが、愛が欠乏した状態が心の隙間のようです。
悪魔とは、心の隙間を感じると、忍び寄り、欲を外の世界へと放つように働きかける者。
もちろん、その欲には愛はなく、我欲(エゴ)でしかありません。
この悪魔の誘いに負けると、人は、エゴを満たすために、外から何かを得ようとします。
その内容は、愛、お金、地位、名誉、権力など様々です。
では、『悪魔』対する『天使』とは、何なのでしょう。
言霊・数霊を読み解くと、下記のような言葉が浮かび上がります。
「放射を押し出す力を示し、離れるもの」
この場合、何を放射するかと言うと、愛(光)。
心の中心に鎮座する本当の自分である魂から愛のエネルギーを放射するのです。
前回の記事で言うと、日の丸の太陽から外へと愛を放つということ。
つまり、天使とは、愛を外の世界に放つように働きかける者。
そして、離れるというのは、見守るという意味かもしれませんね。
天使と悪魔のどちらを選択するかは本人次第ということでしょう。
しかし、心の隙間が増えると、天使よりも悪魔の方の力が増しますからね。
エゴへと走り、それでも心は満たされず、さらに貪欲になり、周囲の迷惑は顧みず、自分本位な行動へと突き進みます。
ブレーキが利かなくなるのです。
そして、気づいた時は、心の中に愛はなくなり、空っぽ。
本当の自分である魂(神)はいなくなり、『空く間』の状態になるのです。
『悪魔に魂を売る』とは、この状態を言うのではないでしょうか。
そう書いていると、突如、『餓鬼』という文字が脳裏に…。
もしかしたら、そこまで到達した人は、『餓鬼(ガキ)』になるのかもしれませんね。
我を食べる鬼と書いて、『餓鬼』。
悪魔に魂(本当の自分)を売った状態にリンクしますよね
ちなみに『餓鬼』ってなんだろうと思い、調べてみたら、仏教用語でした。
どうやら、生前、我欲(エゴ)に走った人が餓鬼に生まれ変わるようです。
『餓鬼』は、いつも飢えた状態のまま満たされず、約1万5000年、過ごさないといけないとか。
これは、辛いですね。姿も醜いようですよ。
そうならないためには、心を愛で満たすことが必要です。
心に悪魔が入り込む隙間を与えないのです。
と言っても、自分以外から、無理矢理、愛をもらい、埋めようとしてもダメですよ。
そうした時点で、それは、欲、我欲(エゴ)と化すでしょう。
悪魔ではなく、天使に従い、愛を外の世界に放つことが大切です。
その愛は、無償の愛。
自らが外へと愛を捧げることで、愛が戻ってきて、心が満たされるのです。
今、この世が闇夜から明けるに従い、今まで闇に隠れていたものが明るみに出てきています。
その中には、素晴らしいものもあれば、そうでないものも…。
心を悪魔に支配された、おぞましい存在がいることにも気づくことになるでしょう。
でも、怖がる必要はありません。
明けない夜はありませんし、悪魔は闇でしか存在できません。
それを信じ、愛を捧げ、心を愛(光)で満たしましょう。
私たち一人一人が心を愛で満たし、この世を愛(光)で満たした時、悪魔は消え去るのだから。
この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。