『金は天下の回りもの』ということわざを、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
お金を持っていない人へ励ましや、お金を使わない人に使うことを促す場合、また、何かを買う時の言い訳や決心の拠り所として使用されることが多いことわざです。
「金銭は一つの所にとどまっているものではなく、世間を回って動くもの」を意味しますが、「自分には回ってこない」、「嘘だ!」なんて思っている方も多いことと思います。
でも、私の経験から言うと、このことわざは、嘘でも間違いでもなく、本当だと思います。
しかしながら、何もせずに、お金が回ってくることはありません。
また、お金を使えば、必ず、戻ってくるというものでもありません。
これには、条件があるのです。
それは、お金を使う目的が、私利私欲ではないということです。
見返りなしの愛に基づくものであることが前提なのです。つまり、無償の愛。
見返りなしに、人や世の中の「役に立ちたい」、お世話になった方に「感謝を示したい」など、自分以外の対象に、純粋な想い=愛に基づいて使ったお金は、必ず戻ってきます。
自分へのお金でも、その目的が自分以外への愛に繋がっているものであれば、戻ります。
さらに言えば、例え、金銭の支払いでなくとも、見返りなしの自分以外への愛からの行動は、回りまわって、自分に幸せをもたらします。
但し、それは、お金とは限りません。また、愛を示した対象からとも限りません。
どんな形にせよ、幸運が巡ってくるでしょう。
要は、目的が愛に基づくものは、お金に限らず、回りまわって、自分に戻ってくるのです。
しかも、愛が深く推敲なものほど、自分が差しだした金銭や行動以上のものが戻ってきます。
では、自分が支払うのではなく、自分から誰かに金銭を要求したり、無理に相手から奪った場合は、どうなると思いますか?
そこに、愛などありませんよね。
その場合は、回りまわって、あなたは、お金や愛、信頼、自由を失います。
目的が私利私欲に基づき、愛からかけ離れば離れるほど、失うものも多いでしょう。
一見、得した気分になるかと思いますが、決して、得することはありません。
愛は、与えた分、戻ってくる。愛なくして奪ったものは、代償を払う。
それは、お金に限らず、様々な形で、戻ってきたり、代償を払うことになるのです。
それは、この世の中の見えない仕組みです。
もし、あなたが、お金がなくて困っているとしたら、他者や世の中に愛を差し伸べましょう。
愛情深き者は、天から守られます。
贅沢できないにしても、生活するには困らない状態になります。
『釈迦、仏陀は、究極のニート』と言われている方がいますが、これが、本来、人間の目指す所かもしれません。
困っている人に、説法をして、窮地を救い、救われた人が、感謝の印として、食べ物やお布施を置いていく。それで、生活が成り立つ。
ありがたい存在になれば、朝から晩まで、あくせく働かなくても、生きていけるのです。
あなたも、ありがたい存在になってみませんか。