ようやく、緊急事態宣言が全面解除されましたね。
一先ず、ホッとした感じではないでしょうか。
しかしながら、以前の状態、世界に戻ることはないでしょう。
というよりは、そうしてはいけないと感じています。
それは、政府やマスコミが言うように、コロナの第二波に備えるという意味ではありません。
人類や地球は、変化・成長の時を迎えているからです。
二波や三波があることを前提に備えるのではなく、それらが起きなくても済む世界となるよう、意識や行動、既存のしくみ等を変える時なのです。
今までの生き方や世界を反省し、変容し成長する時なのです。
今回のコロナ騒動は、ウィルスに感染し、重症化した方や亡くなった方、また、そのご家族にとっては、とても辛い経験だったと思います。
しかし、一方で、コロナは、私たちに、様々な気づきをもたらしました。
社会に依存していたこと、家族との時間を二の次にしていたこと、人口集中のデメリット、都会のもろさ、自然の有難さ、自然界に迷惑をかけていたことなど、他にもたくさん。
また、意識、ライフスタイル、働き方、業態など、様々な変化をもたらしました。
コロナは、人類を不幸にするために現れたのではありません。
『人類の変容・成長を促す』ために現れたのです。
コロナの言霊も、『弥勒の世の橋渡しを行う七福神』ですしね。
弥勒の世の橋渡しを行うために、私たちに試練かつ目覚めの機会を与えに来たのです。
人は、余程のことがない限り、変わろうとはしないですからね。
不満を抱えつつも、我慢し、現状を維持しようとします。
それを止めさせるために、コロナは現れたのです。
「今までの世界は終わりです。もう、次のステップに行きなさい」と。
一部の方が言われるように、コロナは、闇に仕組まれたパンデミックなのかもしれません。
しかし、例えそうだとしても、闇は世の中に変化を促す触媒でしかありません。
闇の行いが、気づきをもたらしたり、覚醒を促すのです。
ショック療法みたいなものです。
地上では、闇の勢力の策略でも、もっと視点を上げれば、それは、天の計らい。
大いなる神が、闇の勢力を使って、世の中を変化・変容させようとしているのです。
その変化・変容の中でも、私が特に感じたのは、『組織』から『個』へと促されていること。
コロナにより、ガッチリと個人を押し込めていた学校や会社といった組織が、突然のように崩れ、多くの方が、自由な時間を自分の采配で行動することが余儀なくされました。
また、外出も、禁止ではなく自粛という形を取ることにより、個人に判断が委ねられました。
言うなれば、私たちは、鳥カゴの中から、突然、追い出された鳥のような状態になったのです。
一見、自粛生活は、行動が制限され、自由を奪われたようにも感じます。
しかし、一方で、自分の時間・人生をどう生きるかは、個人に委ねられ、自由になったのです。
言い換えれば、個としての自立=真の自立が促されたのです。
生計を立てる意味の自立ではなく…。
これは、一見、自立しているように見える、自営業の方でも同じこと。
仕事という縛り、自分で作った縛りの中で、人生の自由を失っていたのではないでしょうか。
そこから解き放たれたのです。
しかし、あまりも突然のことに、戸惑いを感じた方も多かったのではないでしょうか。
どうしたらよいかわからず、ついつい、ダラダラと過ごした人。
せっかく自由になったのに、自分でカゴを作り、制限した中で過ごした人。
自由を謳歌し、心の赴くままに、したいことをして過ごした人。
自分のカゴを作り、その中に他人に押し込めようとした人。
不安や怖れから、ひたすら、感染対策に講じていた人。
不平不満やストレスを周囲を攻撃することで解消していた人 etc.
その過ごし方は千差万別。
しかし、各々の過ごし方により、自粛生活の充実度も違ったのではないでしょうか。
その中でも、一番、充実度が高かったのは、『変化に対応しながらも、自分がしたいことをして喜びを感じた人』のように思います。
なぜなら、私たちは、大いなる神の分け御霊(神)であり、魂。
そして、タマシイの言霊を、言葉毎に一つ一つ読み解くと、『心に芯を持ち、変化の時にバランスを整え、神意とともに変化する』であり、トータルでは『嬉しい』だからです。
つまり、魂とは、もともと、『神意である流れを受け入れながらも、自分軸を持って行動するエネルギー』を持っており、それは『喜びのエネルギー』でもあります。
それに、同調する行動が、一番、心地よく、喜びへと繋がるのです。
『神意と共に、個として自立しながら変化(成長)し、喜びを得ること』
それこそが、私たちが生まれた目的なのかもしれませんね。
そして、私たち成長し続けることで、大いなる神も成長し、喜びに満ちるのでしょう。
だから、今、私たちがすべきことは、変化・変容であり、本来の自分に戻り、生きること。
自分のしたいことをして、喜びに変えること。
そして、それと同時に、繋がり合い、支え合うことではないでしょうか。
繋がり合うことで、個人が抱えていた悲しみは減り、喜びは何倍をも膨らむことができます。
繋がることで、個としてはできなかったことでも実現することもできます。
その気になれば、世の中も変えることができるのです。
私たちは無力ではない。
その気になれば、無限の可能性を持っています。
政府や自治体、学校、会社いった組織だけが、世の中を変えられるわけではありません。
その組織だって、個の集まりです。
自分一人ではできないことなら、その内容に合わせて、臨機応変に個が繋がればよいのです。
今は、個々が携帯を持ち、家や職場もインターネットに繋がっているが、当たり前の時代。
繋がろうと思えば、世界中の方と瞬時に繋がることができます。
固定された組織だからこそ、できることもありますが、それによるデメリットもあります。
固定組織には、序列ができ、支配構造が生まれます。
それにより、不公平が生まれ、不平不満、ストレス、イジメのもとになります。
また、決定に時間がかかり、フレキシブルな対応が困難になります。
個が抑えられ、本来の力が発揮するのも難しいでしょう。
権力者により、素晴らしいアイデアが闇に葬られることもあります。
ウィルス感染や災害などの非常時には、素早く判断し、フレキシブルな対応が必要です。
しかし、政府や自治体、会社が判断し、支持を待っていては時間がかかります。
それならば、個で繋がればよいのです。
個々が自立しながらも、どうしても助けが必要な場合は、無理せずに助けを求める。
それに対し、できる人が無理しない程度にできることをする。
世の中の問題に対し、よい解決策を考えたが実現する資金や知識や技術がない。
それならば、そのことを発信し、協力者を求める。
それに対し、できる人が無理しない程度にできることをする。
世の中には、体力には自信がないけど、お金はある人。
お金はないけど、何かの技術に長けている人。
特別な技術は持っていないけど、その場を明るくすることができる人。
明るくはないけど、ある分野の知識が豊富な人。
知識はないけど、様々な人を知っている人など、様々な人がいます。
様々な人が繋がれば、大抵のことは解決できるのではないでしょうか。
そして、助けてもらった人は、相手に深く感謝し、その相手が困った時や、他の誰かを助ける。
そうやって、繋がっていけば、世の中は、愛や喜びに満ちた世界となるのではないでしょうか。
それこそが、コロナが導く世界であり、弥勒の世。
弥勒の世は、個が自立しながらも繋がり合って調和を保つ世界。
それは、人類だけではなく、動植物や大自然との調和、共生も含まれています。
最初は非常時をきっかけに個で繋がっていき、やがて、それが通常化する。
これからは、カッチリした組織よりも、個が臨機応変に繋がり支え合う時代になると感じます。
そうなるためには、本当の自分に戻ること。
自分で自分の人生の舵取りをすること。
好きなこと・得意なことを伸ばすことが大切です。
そして、個でありながら、他の人や世の中、地球全体、宇宙全体を視野に行動する。
しっかりと自分の人生を自分の足で歩きながら、繋がり合って、全体の調和に貢献する。
そうすれば、きっと、弥勒の世は来る。
そうなることを願っています。
この内容が、少しでもどなたかのお役に立てれば幸いです。