「なぜ、朝から晩まで働かないといけないだろう」
「なぜ、お金のために、こんなにも自由を奪われないといけないのだろう」
「どうして、生きたいように生きれないのだろう」
他にも、いろいろな場面で、「自分は自由を奪われている」
そんな風に思ったことはありませんか。
この世の中は、自由なようで自由ではありません。
一見、自由なように見えますが、それは、制限された中での自由。
私達は、籠の中の鳥なのです。
それも、幾重にも重なった透明な籠の中。
しかし、多くの人が籠があるとも気づかずに、毎日を過ごしています。
そして、籠の中には、規則や行動基準があり、それを管理する人とされる人がいて、
皆が同じような行動をするように方向づけられています。
まるで、牢獄に囚われた『囚人』のように…。
でも、『囚人』と異なるのは、別に、特別悪いことをしたわけでもないこと。
それなりに自由があり、それなりに楽しむこともできること。
また、牢獄の中に入ってきたのは自らの意志であること。
(社会、親、周囲の人による誘導があったかもしれないけれど…。)
あともう一つ、決定的に異なるのは、扉が開いているということ。
幾重にも重なった籠のどれもが、最初から、ずっと扉が開いているのです。
幾重にも連なる鳥居のように、もしかしたら、扉さえ、ないのかもしれません。
つまり、いつでも脱獄可能だということ(笑)
でも残念ながら、そこから本気で「出よう」と思わない限り、その扉は見えないんですよね。
それに、「必ず出れる」と信じることができない限りは、通り抜けることもできません。
その『真の自由へと続く扉』は。
でも、今は、宇宙から、籠の外へと出るよう、強力な力が働いています。
「いい加減、そこから出なさい」と。
籠の中から逃げ出したくなるような出来事が起きたり、
いきなり、ポンと籠の外に放り出されたり、
籠自体が、突然、崩壊したり…。
他にも、様々な手段で、籠の外へと出そうする力が働いています。
でも、人間って、慣れ親しんだモノ・コト・ヒトからは、なかなか離れられないんですよね。
なんとか籠の中に留まろうとしたり、外に出たにもかかわらず、戻ってきたり…。
義理、常識、世間体、不安、思い込み、欲など、様々なことが邪魔をして、
なかなか籠の外へは出れないのです。
中には、「自分は籠の外に出た」「自由だ」と勘違いをしている人もいるけれど、
すべての籠・扉を抜け出た人は、この世にはいません。
なぜなら、『真の自由への扉』は、『神への扉』でもあるから。
本当の自分である『神』に戻らない限りは、すべての籠・扉を抜け出ることはできないのです。
そして、抜け出た先にあるのは、弥勒の世であり、光の世界、神界です。
私達は、もともと、大いなる神=森羅万象を創造した根源神の分け御霊(分身)。
つまり、神です。
それを思い出し、神に値する存在に戻れた時、すべての『真の自由への扉』を抜け、
最後の扉である『神への扉』を抜け出ることができるでしょう。
そして、その神へと還るためのツールが『三種の神器』。
それを使い、神へと還るのです。
今、私達は、幾重にも重なる籠・扉の外へと出ることを促されています。
連なる鳥居を抜け、本殿にある神(本当の自分)に辿り着くために。
神社になる連なる鳥居や参道、本殿などは、このことを表しているのかもしれませんね。
今、連なる鳥居を抜ける時。本当の自分に還る時です。
この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。