『人生とは、本当の自分(神)に還るためのゲーム』
『人生の出来事は、本当の自分に還るためのギフトであり課題である』
本当の自分(神)に還るには心を磨くことが必要で、そのために様々な出来事が起きている。
その出来事から気づきを得ることで、心のかさぶたが取れ、心が磨かれる。
そんな話を前回しました。
このことは、下記の通り、『人生(ジンセイ)』の言霊を読み解いた中にも表れています。
「もたらされた現象が押し出す力を引き受け、伝わるものを次々と受容する」
「内なる善を信じることで、喜びと統合と始まりがもたらされ、相反するものと和合し、神意と共に生きる。」
「自分の意思によって共鳴したもの・魅惑を感じたものに焦点を置き、進む」
つまり、人生とは、
「もたらされた出来事を受け止め、気づきを受け取ることで心を磨く」ことであり、
「内なる善を信じ、相反するものと和合し、神意と共に生きる」ことであり、
「自分の意思(魂=本当の自分=神)が共鳴・魅惑するものを拠り所にして進む」こと。
これは、実は、三種の神器の「鏡」と「勾玉」と「剣」を表しています。
三種の神器は、次元上昇のツールであり、神へと還るためのツール。
つまり、人生とは、三種の神器を使って、神へと還るためのものとも言えるのです。
「鏡(心)」と「勾玉(魂)」と「剣(自分軸)」。
その中でも、最も重要なのが、「鏡(心)」。
それは、私たちの心の状態が、そのまま現実の世界へと投影されているからです。
だから、心が鏡に例えられているのです。
闇(敵)は心の雲りが落とす影。
心に曇り(かさぶた)がなければ、闇(敵)も存在しません。
心に曇りがあるから、苦しい思いをすることになるのです。
その心の曇りが、曇りから雲、また、厚い雲になって、心の中を覆う壁となると、心の中は闇となり、本当の自分は閉じ込められ、現実世界でも、閉塞感や孤独感を感じることでしょう。
また、「自分が自分でいられない」といった状況にもなります。
だから、心の曇りを作らない、また、できたものは、磨いて取り除くことが大切です。
では、曇りのない心の中の状態とは、どういう状態なのか。
それは、雲一つない、どこまでも広がる青空と燦燦と輝く太陽がある状態。
そして、その太陽こそが魂であり、神である本当の自分です。
つまり、本当の自分(神)に還るとは、心を雲一つない広々とした青空にすること。
心を清らかにし広くすることなのです。
そうすれは、現実世界も清々しい世界となり、光輝く太陽にような自分が現れるでしょう。
太陽のように温かく、すべての存在を遍く照らす存在である自分が…。
今、上映されている『鬼滅の刃』の映画をご覧になったでしょうか。
主役の竈門炭治郎の心の中は、雲があるものの、広い青空に太陽(魂)が輝いていました。
そして、自分にとって敵になる相手にも愛を注ぐことで、敵から自分を救いました。
私たちに求められているのは、敵である鬼に刃を向け、殺すことではない。
敵をも愛で包む、清らかで温かい広い心が必要なのはないか。
『鬼滅の刃』には、そんなメッセージがあると感じました。
人生とは『本当の自分(神)に還るためのゲーム』であり『心を清やかにし広くするゲーム』。
そして、今、それが求められている。
私たち人一人が雲一つない青空のような心を手にし、本来の自分である太陽の光を輝かせれば、この世界は、闇(敵)などない、光の世界へと変わるでしょう。
この内容が、どなたかのお役に立てれば幸いです。