救世主

キリスト教ではキリストの再臨、仏教では弥勒菩薩の降臨など、あらゆる宗教で、この世の終わりに救世主が現れ、人々救うと言われています。

中には、日本から救世主が現れるという予言もあるようです。

かの有名な弘法大師空海は、弥勒菩薩と共に下生して人々を救済すると、遺告を残したとか。

そして、聖徳太子が書いたとされる予言書『未来記』によれば、弥勒菩薩が下生する時期は、現代だと言われています。

しかし、これは、本当なのでしょうか?

もし、それが本当なら、今、日本に、救世主とされる弥勒菩薩が、すでに誕生されている可能性が極めて高いということです。

私が、弥勒菩薩の存在を知ったのは、数年前のこと。

その頃、頻繁に『22』という数字が、私の周りに出現していました。

そして、そうこうするうちに、京都の真名井神社に呼ばれ、関西を旅することに。

真名井神社に呼ばれたのは、この時で三度目。

私は、豊受大神にご縁があるようで、人生の節目には、なぜか丹後に呼ばれます。

そして、その時は、なぜか聖徳太子ゆかりの地も巡ることにもなりました。

聖徳太子に関する書籍を購入し、移動中に読みながら、聖徳太子について学ぶ旅です。

そして、実際に旅して気づいたのは、その旅が弥勒菩薩について学ぶ旅であったということ。

また、聖徳太子や空海も『22』という数字に縁が深いということも知りました。

旅行日程にも22日が含まれていましたし、22分の電車やバスに乗ったり、旅行中も『22』という数字が目につきました。

その時に、私が行ったのは、真名井神社、籠神社、法隆寺、中宮寺、四天王寺、広隆寺、大酒神社、木嶋坐天照御魂神社。

行く先々で、不思議な出来事や幸運な出来事に遭遇したり、歓迎のサインをいただきました。

真名井神社では、拝んでいる際中に風が吹き、歓迎のサインとされる鈴の音が鳴ったり、帰ろうとしたら、突然、どんぐりが足元に落ちてきたり…。

また、神社から出てきて、ふと目あげると、目の前に、天橋立に天使の梯子(薄明光線)が掛かっているのを見ました。

籠神社では、人払いをしていただいた上、宮司さんにお目にかかるという幸運に恵まれました。

奈良の法隆寺では、宝物館と、たまたま開催されていた秘宝展で、たんまりと弥勒菩薩を見ることができ、夢殿の特別開帳で、秘仏 救世観音菩薩を拝観することもできました。

中宮寺では、弥勒菩薩を拝見した後、中宮寺の上に、天使の梯子が掛かっているのを見ました。そして、その晩、月輪(月暈)を見る機会にも恵まれました。

大阪の四天王寺では、入り口でもらった地図を見て、なぜか金堂に行きたくなり、金堂に行くと、ちょうど舎利出しの法義が始まる時間と重なり、そのまま参加。

舎利(お釈迦様の骨)を頭に当てていただき、お釈迦様とのご縁を結んでいただきました。

また、その日は、聖徳太子の命日である22日だったこともあり、日頃見れない秘仏も拝見でき、短時間で有意義な時間を過ごすことができました。

そこから、京都の太秦の広隆寺に移動。

広隆寺の門をくぐると、ちょうど、聖徳太子御火焚祭の儀式が始まる直前でした。

またもや、そのまま儀式に参加し、家運隆昌や息災延命の祈祷していただきました。

すると、私の頭上だけに雨が降るという、不思議な現象に遭遇。

神社やお寺で一時的に雨が降るのは、神様からの歓迎のサインです。

その瞬間、有難い気持ちと、今回の旅は、弥勒菩薩について学び、舎利出しの法義と、この儀式を受けるために来たのだと直感しました。

その後、弥勒菩薩と、この日、特別に開帳された本尊聖徳太子像や秘仏薬師如来像も拝観後、近くにある大酒神社と木嶋坐天照御魂神社へ移動。

両方とも、歓迎の雨で迎えていただき、無事に旅の目的地をすべて制覇することができました。

この旅を通して、気づいたのは、聖徳太子や空海が弥勒信仰を推進していたこと。

そして、キリスト、聖徳太子、空海は、何か強い縁があると感じました。

また、キリストとマグダラのマリア、聖徳太子と膳大郎女、空海と真名井御前は、瀬織津姫とニギハヤヒ(アマテル)の分霊ではないか。

そして、瀬織津姫=弥勒菩薩ではないかと。

そんな疑問が湧きました。

それから月日が経ち、様々な気づきを得て感じたのは、弥勒菩薩とは本当の自分だということ。

この世の終わりに現れる救世主とは、神の分け御霊である、神である自分なのです。

そして、その神である自分には、対となる存在がいます。

スピリチュアル用語で言うと、ツインレイということでしょう。

人は、本当の自分になった時に、対となる存在と再会し、堕落した世界を建て直すと言う役割を持つのかもしれません。

そして、神が統治する千年王国が誕生し、真の平和な世界となるのでしょう。

日本から救世主が現れるというのは、弥勒菩薩の域に達する人が、日本に現れるということなのかもしれません。

それは、一人とは限らないのではないかと思います。

一人でも多くの弥勒菩薩を誕生させ、日本の地から世界を平和にしたいものです。

そのためには、私たち日本人から、嘘偽りのない本当の自分に戻りませんか。

そして、日本から真の平和を手に入れ、世界に平和の輪を広げませんか。